【国旗国歌問題について】
広島県の県立世羅高校の石川敏浩校長が卒業式の君が代斉唱、日の丸掲揚問題において、職員組合等や部落解放同盟との軋轢により卒業式前日に自殺した。この事件は日本全国に波紋を呼び、政府にして「今時 国会で君が代・日の丸の法制化を検討」と言わしめたほどである。結局、国旗国歌法は平成11年8月9日に成立した。
なぜ、今なのか?との疑問の声が革新系知識人からやはり出てきている。この問題に関して今や国論は二分しているといっても過言ではない。では、そもそも君が代・ 日の丸問題の本質は何なのであろうか。そして、どのように解決すべきなのか探ってみたい。
君が代や日の丸について、反対派の意見をまとめてみると以下に揚げるものがその大半である。
@ 日の丸は大東亜戦争中にアジア各国を侵略したときの旗印であって、戦後先の大戦の反省の上に国を築いてきた日本の立場には沿わない。
A 「君が代」とは天皇の万世一系の系譜が未来永劫にわたって繁栄することを讃える歌である。従って、日本国憲法で国民主権を謳っている国の国歌としてはふさわしくない。
おおかたこのような主張であると思うのだが、まずこれらの主張から検証してみることにする。まず、@について。侵略戦争の旗印であったので国旗としてふさわしくないとの主張であるが、この主張にはいくつかの問題点が存在する。軍隊において、その国の国旗または軍旗とは神聖なものである。まるで自己の存在そのもの、あるいはそれ以上に畏敬されるべき存在である。この習慣は遠く源平時代から日本では続いてきている。特に戦国時代には戦場に忘れてきた自軍の旗を取り返してきたものには褒美がでたものである。日本人はまず日の丸の議論の前に国旗というものの持つ意味を知らねばならない。
国際的な一般論からみても、国旗は重要な位置づけをされている。主要各国は国旗に対する侮蔑罪を設置しており、法律によって国旗を保障している。日本にも国旗侮蔑罪(刑法第92条)はあるのだがあくまでも外国の国旗に対してのみである。これは日の丸が法律によ って制定されていないからであろう。
では、国旗そのものがその国家の行為を背負うということがあるのだろうか。つまり、彼等のいうごとく日の丸は血に汚れた歴史を背負っているのだろうか。
客観的にみて日の丸が日本精神の象徴として戦争に使用されたことは事実である。実際に日の丸をみると戦争中のことを思い出し気分が悪くなるという人は日本人にも多い。肉親を大東亜戦争で失ったアジアの人々にもこの旗に嫌悪感を抱く人はいる。いかに取り繕っても、現実にマイナスの感情を日の丸に持っている人は存在しているのである。
しかし、歴史の中で国旗が存在するのであれば、その期間には様々なことが起こる。戦争も起これば虐殺も起こる。歴史が多くの人間の血を必要とするのはむしろ人類に とっては当たり前のことではなかったのか。しかも、日の丸の歴史が全期間をとおして血塗られていたかといえば、全くそんなことはないのである。
もっともわかりやすい例を示せば、沖縄の本土復帰運動の旗印は実は日の丸である。当時の沖縄県民は日本への本土復帰を願って、胸を張って日の丸を振っていた。まさに、平和の象徴として、本土復帰の御印として日の丸は存在していたのである。このような歴史的な過程を全く無視して、一方的に「侵略の旗」などと決めつけてしまうのはいささか乱暴 なのではないだろうか。
こんな事を言っていると、「だから日本は正式に先の大戦の戦争責任について謝罪できないんだ」とか「ドイツやイタリアをみろ!彼等は自らの行為を反省し国旗も変えたぞ」といいたくなる人もでてくる。 ここで基本的な事項を確認しておきたいのだが、ドイツ・イタリア枢軸と大日本帝国の戦争政策は根本的に相違してることは証明可能である。
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