| 駆逐艦/その3 |
![]() | 昭和20年3月5日に竣工した【柿】は、起工から竣工までわずか5ヵ月という短期間で造られた艦である。これは松改型駆逐艦に取り入れられたブロック構造や直線デザインの採用などにより可能になったもので、必要に迫られたとは言え当時の技術力の高さを痛感するものである。【柿】は竣工後もほとんど活躍の場はなく、20年3月19日に内海西部で対空戦闘を行ったのが唯一の戦闘らしい戦闘であった。以後は呉に回航されて終戦に至った。戦後復員輸送を終えた後賠償艦となり、やや遅れて昭和27年7月4日にアメリカへ引き渡された。 |
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【蓮】は前出の【栗】と同じく樅型の一艦で、竣工は大正11年7月31日。竣工後は第28駆逐隊として第一水雷戦隊に編入され、主力艦隊の護衛任務についていた。昭和15年に入り鎮海要港部へ転出となり大陸支那方面に活躍の場を移した。開戦の昭和16年12月8日には上海において英砲艦【ペトレル】を撃沈している。以後は【栗】同様に上海、台湾方面の船団護衛という危険度の高い激務に携わったが、昭和19年8月2日に揚子江で触雷中破。さらに20年の1月には香港で空襲を受け小破と相次いで損傷を受ける。しかしどちらも上海で修理を行い即刻復帰している。20年5月以降は青島に回航され華北方面の船団護衛に従事し、そのまま青島で終戦となった。戦後は佐世保に回航され、復員輸送につくための修理を行う予定だったが、予算の関係上修復を断念。船体の一部が福井県四箇浦港の防波堤となってその生涯を終えた。 【蓮】は戦後まで生き残り、外国の手に渡らなかった数少ない駆逐艦の一隻である。 |
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【榧】は昭和19年9月30日に竣工した松型駆逐艦。作戦参加は一回のみで、昭和19年10月25日から行われたマニラへの船団護衛と引き続くサンホセ突入作戦である。同作戦時に空襲により損傷した【榧】は一路舞鶴に帰投して修理を受け、完了後呉に回航。さらに20年6月には山口県日見海岸に疎開係留されそのまま終戦を迎えた。 戦後は復員輸送に従事した後、昭和22年7月5日に賠償艦としてソ連に引き渡された。尚、【榧】については後の情報が残っており、ソ連海軍籍に長く在籍し活躍したとされている。 |
![]() | 同じく松型駆逐艦【楓】は昭和19年10月30日に竣工。翌年1月に門司〜台湾間の船団護衛に従事した後、そのままフィリピン方面での航空要員救出作戦に参加。その際不幸にして空襲により中破し高雄に退避、修理を受ける。後は再び船団護衛をしながら呉に帰投。以後、内海西部にあったがそのまま終戦となった。戦後は復員輸送に携わり、他の多くの駆逐艦同様賠償艦指定を受けて中華民国への引き渡しが決まった。昭和22年7月6日に上海で引き渡された【楓】は【衡陽】と命名され、昭和38年まで活躍した。 |
![]() | 松型駆逐艦【蔦】は戦局押し迫った昭和20年2月8日に竣工。竣工後は訓練と対空戦闘を続けながら佐世保で終戦を迎えた。その後は復員輸送につき、任務終了をもって中華民国への引き渡しが決定した。昭和22年7月31日に上海で引き渡された【蔦】は【華陽】と命名されて昭和37年頃まで同海軍に在籍したといわれる。 |
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【菫】は昭和20年3月26日横須賀で竣工の松型駆逐艦。竣工後は横須賀から呉へ回航、後、5月には舞鶴へと回航されてそのまま終戦に至った。戦後、復員輸送任務を終えたあとは賠償艦としてイギリスへの引き渡しが決定。昭和22年8月20日に香港で引き渡しが行われたが、同年内に標的艦としてシンガポール沖で撃沈された。 中華民国への引き渡し艦とは違い、イギリスへ渡った艦は皆、切ない最期を迎えている。 |
![]() | 【椎】は昭和20年3月13日竣工の松型駆逐艦。他の多くの艦は二代目、三代目であったが、【椎】の名は日本海軍で初めて採用された艦名である。竣工後は第43駆逐隊に編入され訓練に従事。6月5日に豊後水道で触雷損傷したことと、7月24日に対空戦闘を行ったことが特記すべき出来事である。無事に終戦を迎えた【椎】は復員輸送を行った後、賠償艦として昭和22年7月5日にソ連へ引き渡された。後の消息は不明である。 |
| 【雄竹】は昭和20年5月15日という終戦直前に竣工した松型。日本海軍の駆逐艦中、最後から三番目の竣工である。時期が時期だけに【雄竹】はそのまま竣工した舞鶴で待機となり、終戦に至った。以後は復員輸送を経て賠償艦指定を受け、昭和22年7月4日にアメリカへ引き渡されたが、後に売却、解体された。 |
![]() | 【初桜】は昭和20年5月28日に横須賀で竣工した松改型駆逐艦。完成後も出撃の機会はなく横須賀鎮守府所属のまま終戦を迎えた。終戦後の8月27日に相模湾に集結していた連合国艦隊への連絡艇として【初桜】が起用されたことが唯一の特記事項であろう。復員輸送に従事後は賠償艦としてソ連に引き渡され、昭和22年7月29日にナホトカにおいて日本人の手を離れたのである。以後の消息は分かっていない。 |
![]() | 【初梅】は昭和20年6月18日、終戦のわずか2ヵ月前に竣工した松改型駆逐艦。この【初梅】が最後の駆逐艦竣工であり、この竣工をもって帝国海軍の駆逐艦はその歴史に終止符をうった。当然ながら【初梅】には戦歴らしい戦歴はないが、二度の空襲を受けて多少の損害を被ったまま舞鶴で終戦を迎えた。戦後は復員輸送に従事し、昭和22年7月6日に賠償艦として中華民国に引き渡された。艦名は【信陽】。その後同海軍で活躍したが昭和39年に廃艦となった。 |