以下は、当會掲示板「鐵の広場」に、「しんぶん赤旗の読者」と思しき「わたし(詩的唯物論者)」というハンドルの当會外部の方によって、平成13年7月5日(木)午後4時48分44秒に紹介されたものである。 ---------- 小泉総理が公式参拝めざす靖国神社問題の今 「靖国神社公式参拝は当然」と公言する人が首相になりました。憲法違反の判決も確定している公式参拝になぜ固執するのか。歴史教科書問題や戦争法(ガイドライン法)にも密接にかかわる、今日の「靖国問題」を見ました。(しんぶん赤旗2001/5/6柿田睦夫記者) 侵略戦争推進の柱として A級戦犯祭る 東京・九段坂。大鳥居をくぐり、長い参道を行くと拝殿。天皇の短歌が掲げられています。奥の本殿に祭られているのは明治維新から「大東亜戦争=太平洋戦争の戦前の公称」までの戦没者二百四十万余。軍が決め、天皇の裁可で祭られました。 ただし”天皇に命をささげた”が条件。空襲で死んだ一般国民や天皇の軍隊に歯向かった西南の役の西郷隆盛ら「賊軍の将」は祭られていません。逆に戦後、侵略戦争の直接責任者であるA級戦争犯罪人の東条英機元首相らが「昭和殉難者」として祭られました。 境内右奥には遊就館。歴代戦争の武器や戦闘機、天皇の錦旗(にしきのみはた)が飾られています。一八六九年(明治二年)、「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、東京招魂社を建立、十年後に靖国神社と改称しました。 明治憲法下、天皇を神とする政教一致の国家神道体制(天皇とその祖先神への崇拝を国家が強要した体制)が敷かれ、軍国主義と侵略戦争推進の精神的支柱となりました。なかでも靖国神社は内務省所管の一般の神社とは違い、陸・海軍省所管。文字通り、別格の軍事的宗教施設でした。国民は死んで靖国神社に祭られることを美徳と教えられ、信仰のいかんにかかわらず参拝を強制されました。 こんな戦前の教訓と反省のうえに確立したのが現憲法の恒久平和と信教の自由・政教分離の原則。靖国神社は国の保護を離れ一宗教法人になりました。自民党などはこの憲法の原則を空洞化し、靖国神社に戦前のような機能を復活させようとしてきました。それが靖国神社国家護持・公式参拝のたくらみです。 司法では決着 公式参拝の是非は、司法の場では決着しています。 岩手靖国訴訟の仙台高裁判決(九一年一月)は、首相らが公的資格で参拝すれば「国又はその機関が靖国神社を公的に特別視し、他の宗教団体に比して優遇的地位を与えているとの印象を社会一般に生じさせ、…国の非宗教性ないし宗教的中立性を没却するおそれが極めて大きい」「天皇の公式参拝は内閣総理大臣のそれとはくらべられないほど、国家社会に影響を及ぼす」とのべ、公式参拝は「違憲な行為」と判断。この判決は上告されず、確定しました。 その後も、「公式参拝は違憲の疑い」との判決が相次ぎ(九二年二月福岡高裁、同七月大阪高裁)、九七年には最高裁が愛媛玉串(たまぐし=サカキなどの枝を神前にささげる神道儀式)料訴訟で、靖国神社への玉ぐし料公費支出を違憲としました。小泉首相らの主張は憲法の平和原則はもちろん、これら司法判断、三権分立という民主的原則への挑戦でもあります。 将来の「有事」戦死者対策 憲法違反判決すでに確定 憲法違反という判決がすでに確定しているのに、なぜ公式参拝にこだわるのか。小泉首相は記者会見で「(戦没者追悼の)純粋な気持ちを参拝で表すといったまでだ」といいました。 それなら、国立の千鳥が淵戦没者墓苑があります。ここは特定の宗教には関係のない施設です。さきの最高裁判決でも「戦没者の慰霊自体は、特定の宗教とかかわりを持った形でなくても行うことができる」とのべています。 なぜ「靖国」なのか。今日の靖国問題には、互いに深くかかわりあった二つの側面があります。一つは、戦没者追悼に名を借りた侵略戦争の美化。歴史教科書問題と軌を一にした歴史の偽造です。 それと表裏一体の側面が、これからの日本にかかわることです。 自民党政府はかつて「公式参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」(八○年十一月、政府統一見解)としていました。八五年八月十五日、中曽根首相はこれを変更し、公式参拝を強行しました(しかし内外から強い批判がわきおこり翌年から中断)。 この見解変更に向けた自民党靖国問題小委員会で奥野誠亮委員長がこう発言しています(八三年十月)。「国家社会の代表が代表としてお参りできないようでは、将来、事があった場合どうなるのか」 公式参拝は、過去の戦没者追悼ではなく、「将来の有事=戦死者」対策だというのです。奥野氏個人の見解ではありません。杉田一次自衛隊元陸幕長が自民党防衛議連の席で「靖国神社国家護持は放置した形で…、日本には戦死者に関する法規はない」といっているように、将来の戦死者対策は公式参拝推進派の一貫した主張です。 中曽根首相は「さもなくしてだれが国に命をささげるか」といって公式参拝を強行。直後の軽井沢でのセミナーでは「これが戦後政治の総決算だ過去のことでなく、二十一世紀へ向けての前進の体制をつくる」とのべています。 日本が戦争に加担する危険 そしていま--。自公連立下で成立した戦争法で、米軍が仕掛けた戦争に日本が積極的に加担する枠組みがつくられました。小泉首相らは集団的自衛権行使を唱え、「米軍が攻撃を受けた場合、日本が何もしなくてもよいのか」「いざという場合には命を捨てることに敬意を持つ」と発言しています。 −−「将来の有事」のさいの”戦死者対策”は、現実的な危険になろうとしているのです。愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決で尾崎行信裁判官は、大正末期から昭和にかけての軍国主義化と言論の自由が奪われ戦争へと突入した歴史を示し、「情勢の急変には十年を要しなかった」「些少(さしょう)だと思われる事態が既成事実となり、積み上げられ、取り返し不能な状態になることは歴史の教訓」と警告しています。 いま、その「教訓」が試されようとしています。 by Watashi(Shiteki-yuibutsuronja) : the user outside of Tetsusenkai 次項=>昭和61年・日弁連意見書 |